承継コラム vol.32

「中国古典・人間学(老子②)」

 

『ことごとく以もって人に為ほどこして、己れ愈いよいよ有り。ことごとく以て人に与えて、己れ愈いよ多し。天の道は利して害せず、聖人の道は為(な)して争わず。』(老子第81章)
―これは「聖人は何もためこまない。なにもかも人々に施しつくしながら、自分はますます充実する。なにもかも人々に与えつくしながら、自分はますます豊かになる。天の道は恵みを与えるだけで損なうことはなく、聖人の道は何かをなしても争うことはない」(蜂屋邦夫氏訳)という意味です。―

人に施し与えて何故、より充実し豊かになるのでしょうか?
数学的に見れば、自分が10という財物を持っていたとして、これをすべて他人に与えてしまったならば、自分の所有は0(10-10=0)となってしまいます。これが通常我々の世界観です。では なぜ老子は、ますます充実し豊かになると言うのでしょうか。まず親子の関係を考えてみましょう。母親がわが子にお乳を与えても「与えた」ましてや「損をした」という感覚は全くありません。1枚の着物をわが子に与えても、与えたという心は起きませんし、病むわが子を看護しても看護したという思いなど一切ありません。むしろ幸せを感じるものです。わが子も幸せ、親も幸せの豊かな社会が築かれるからです。これを数学的に考えてしまうこと自体が「豊か(幸福)」の道から遠ざかっているのです。

しかし他人との関係ではそう簡単には割り切ることはできません。現実他人に施し与えてしまえば、それに見合うあるいはそれ以上の財物が戻ってくる保証など一切ありません。他人との関係においては、やはり数学的に考えるほかないようです。人間は皆欲を持ちながら生きています。その生活スタイルは、他人との関係において究極は「取る」ことと「与える」ことの2つに尽きます。何かを取り、それに見合うものを与える。あるいは何かを与え、そして取る。商売で言えば、ある商品を売却して代金を受け取ることです。これを数学的に、欲望を母体としつつ他人の喜びが自分の喜びとした場合の幸福の計算を考えたいと思います。「取る喜び」を分母、「与える喜び」を分子として割り算の世界として考えた場合、「与える喜び」÷「取る喜び」=幸福度 という計算が成り立ちます。「取る喜び」以上に「与える喜び」が得られれば、すなわちこの値が1より多ければ幸福度は増すという意味です。商売で考えれば、工夫してコストを下げ値段を安くして、代金を頂く(取る喜び)以上に商品に関わる品質、サービスをお客の期待以上に施せば、お客は喜び、信用は増してますます購買者は増え繁盛するでしょう。
このように考えて、2500年前の老子の言葉をしっかりと身に着けたいものです。 


以上
創新事業承継プロジェクトチーム 代表 公認会計士・税理士 高良 明

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